- 2008年7月25日 17:13
別にファンでもなんでもないのだけど、森山直太郎の新曲が賛否両論を引き起こしているという記事を読んだので一言。「生きてることが辛いなら」というタイトルで「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい 恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り」という冒頭の歌詞が物議をかもし出しているとのこと。賛否両論、ということなのだけど、反対意見はと言うと、この冒頭の自殺推奨はカゲキでよろしくない、賛成意見はと言うと、しかし「生きてることが辛いなら 嫌になるまで生きるがいい」という歌詞で締めくくられることを考えれば、本意は冒頭にではなくこちらのほうにあるのであって、自殺を推奨した歌ではない、というものが多い。
実は、反対するにしても賛成するにしても、自殺の推奨はよろしくない、という発想は共有されている。しかし、自殺推奨はよくない、というのはあくまで建前上のお話なのであって、建前以上の根拠はない。つまり自殺推奨はよろしくない、と言っている人にこう聞いてみればいい。なぜ自殺はいけないのか? 彼らはどう答えることができるだろうか。
人間生きる自由もあれば死ぬ自由もあるはずである。本人ではなくまわりの人間を悲しませるからよろしくない、という回答に対しては、歌詞の通り「三日と経てば」忘れ去られることもあるのであって、まわりの人間の悲しみ度合いはたいしたことないこともありうることを考えれば、そんなにたいした問題ではない。そもそも他人に悲しみを与えてしまうこと、他人に葬式などの手間隙を与えてしまうこと、こうしたことはしかし自分が自分の生死を決める自由より勝ると考えるのは不自然だろう。
実に、「生きてることが辛いなら」というメッセージに対して「生きろ」というメッセージで返そうとするなら、しかしこの「辛さ」をどうするか、という問題が出てくる。森山直太郎のメッセージに従えば、未来が明るいことを信じることで、「辛さ」が軽減されることになる。しかしそう信じれない場合が問題である。そう信じれず、「生きてることが辛いなら、この辛さを与える世間に復讐することだ」というメッセージを発し、秋葉原で無差別大量殺人を行った人間もいること。この人間の出現依頼、ネット上で無差別殺人の予告が後を絶たない。こういう件に考えるにつけ、「生きてることが辛いなら、他人を殺してでも生きろ」というメッセージよりは、「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」というメッセージのほうが、社会秩序の観点からは望ましいものである。
別にこうした観点が奇をてらったものだとは思わないのだが、こうした意見があまり聞こえてこないところに、今の日本の社会がどうにも建前論を重視しすぎて、本質的な問題に目をそむける傾向が現れているのでは、に思う。
こうした事例はいくらでもあるのだけど、たとえばコウダクミの「30過ぎたら、羊水が腐る」という発言。まあ明らかに発言としてお上品ではないので、建前的にはよろしくない発言である。しかし、この発言の真意は、30越えたら出産が難しくなる、ということなわけだが、ほんのちょっと前までは、30歳以上の女性で妊娠した場合、医療カルテにマルコウと書かれた時代があったわけで(つまり高齢出産の「高」)、こうしたことを踏まえれば、コウダクミの発言はちょっと前までは社会的な常識とされていたようなことである。コウダクミの発言に対して、なんかものすんごくオバハンの発想やなあ、と思うのが普通だと思うのだが、メディア総出の大バッシングまで行き着くのは、やはり最近日本の世の中が建前論を重視しすぎるきらいがあるのではないかと思う。そしてこれはあんまりよろしくない傾向だと思う。
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